5分を制する者 世界を制す!

駅や公共の場でピアノを気軽に楽しむ光景も増えてきましたが、日々の暮らしの中でご家族でピアノを囲む光景はまだまだ少ないですね。

ピアノ文化の歴史が浅いことや経済偏重や日本特有の受験システムが大きな要因のようにも思いますが、勉強と音楽の両立を見事に成し遂げられたヴァイオリニストの廣津留すみれさんの講演+コンサートに行ってきました。

彼女は大分県の公立高校から独学(塾へは行かず)でハーバード大学に現役合格、首席卒業、その後、名門ジュリアード音楽院に入学、ここでも首席卒業、卒業後は米で音楽コンサルタントを起業し、日本でもコンサート活動、コメンテーター業、執筆業、WEB配信等、多忙なスケジュールを熟している現在27歳のヴァイオリニスト・・輝かしいプロフィールです!

昨日の紀尾井町サロンホールでの講演会とコンサートには、大学生から高齢の方まで老若男女を問わず、色々な方が足を運ばれていました。

講演会のテーマは「ステイホーム期間に頭ひとつ抜きん出る!大人の英語勉強法と異文化コミュニケーション」

講演会では、お互いの文化や習慣性の違いを認識する中で、アメリカの授業では質問でも何でも言葉を発しなければ出席扱いにならない為、どんな不安や疑問も放置せず、思い・考えを伝える事!友人達のカジュアル英語にも積極的に参加し、マインドを鍛える事が大事!と話され、英語習得のカギは一に単語、二に単語、三に単語を暗記する!英語の接頭語・接尾語を把握する!事に尽きるとのことでした。そして、多くのタスクを熟していくには、締め切り日の時系列順に対応し、長期スパンの課題は隙間の5分10分に自分なりの目標値を設定、それを日々積み上げていく事で達成感を味わい、それが次へのモチベーションへと繋がり、結果的に最終目標値に到達するとのお話しがありました。

「ローマは一日にして成らず」はまさしくすみれさんの生き様、脳を鍛えていく過程は一流アスリートが身体を鍛えていくのと同じように、日々を積み重ね1%の才能と99%の努力の賜物でした。

後半のコンサートはピアソラ生誕100周年の年と言う事もありオールピアソラ6曲を演奏されました。

すみれさんのエネルギッシュでキレの良いシャープさがタンゴ独特のリズムとマッチングし、哀愁漂う中にも現代アートのような斬新なピアソラを堪能出来ました。

3才から始めたヴァイオリンは、ハーバード時代に世界的ヨーヨー・マとの共演が出来た事で、音楽で世界中の人と繋がり、心を通わせることが出来ることに感銘を受け、プロの道に進むきっかけになったとのこと。

4月10日”題名のない音楽会”にも東大院卒のピアニスト角野隼斗さんと出演予定のようです。

優秀で有能な若い音楽家達に日本の音楽の土壌改革と子供達が夢を持てる音楽家として活躍して欲しいです。

オンラインレッスン

瞬く間に世界中を席巻した新型コロナウイルスは、多くの犠牲者を出し、人々の暮らしを一変させてしまいました。子供たちも三ヶ月近い休園・休校を強いられ、長いステイホームの日々・・・。6月になり学校再開となりましたが、安心できる生活を送るにはまだまだ時間がかかりそうです。

緊急事態宣言後、希望者のみリアルタイムの初オンラインレッスンをスタートしました。情報収集や諸々の設定に試行錯誤しましたが、今後の対応も見えてきましたので、オンラインレッスンの状況と併せてお知らせ致します。

オンラインレッスンで使用した通信システムと端末機

*通信システム

教室独自の通信システム(HP制作会社 ファインアライズ開発)
②FaceTime
③Skype
④LINE

*各ご家庭の端末機(教室はipad WindowsPC)

①PC
②タブレット
③スマートフォン

結果として、各ご家庭のネット環境が安定し、教室独自の通信システム+PC+アコースティックピアノの場合はスムーズなレッスンが出来ました。一般の通信システム+スマートフォン+電子ピアノの場合は、残念ながらレッスンに支障が生じてしまいました。オンラインレッスンのクオリティは通信システムの音声品質とネットワークの安定性、PC・マイク・カメラの性能が大きく影響することを実感しました。又、各ご家庭の練習状況(使用楽器・椅子の高低・設置環境)の把握と生徒さんのモチベーション維持に繋がり、オンライン期間中に新しいテキストに入った生徒さんや音感トレーニングを1冊終わらせた生徒さんもいました。

オンラインは対面レッスン同等の効果・効率を得る事は困難ですが、メリットを活かし今後も次のような状況を限定してオンラインレッスンを取り入れて参ります。

①通学困難な気象状況の場合(雷雨・台風・大雪等)

②インフルエンザ等の感染症で学級閉鎖になった場合

③保護者の送迎が困難な場合

又、保護者の皆様にはお子様のレッスンの様子をいつでもご覧頂けるように”リモートレッスン見学”をスタートします。ご希望日にいつでもご自宅で見学できます。(^-^*)

今後も感染予防を継続しながら、出来ることを精一杯、楽しみに変えて歩んで参りましょう。

 

ステイホーム中に作ったペーパークラフトピアノ  E.Mちゃん(年長)

グランドピアノ   「はらっぱのピアノ」

アップライトピアノ 「みずのなかのピアノ」

 

トリプルの吉日

”栄養補給の一日”とすべく、9月末日の午前中、渋谷ホールでのJ.S.バッハ フランス組曲セミナーに出向きました。

赤松林太郎先生のセミナーだけに、満員御礼!

遠くは愛媛や長野からいらしてる方もいらっしゃるとか・・頭が下がります。

バッハがどのような意図で、どのような背景でインベンション・シンフォニア・平均律・フランス組曲・イギリス組曲・パルティータ・協奏曲等をそれぞれ作曲したか、とても興味深いお話しもあり、バッハの温かさ・人間味をいつも以上に感じる内容でした。

午後は渋谷駅を横断し、Bunkamuraル・シネマで「レディ・マエストロ」を鑑賞しました。

1900年前半、男性社会の中で才能と音楽への情熱だけを武器に、指揮者になる夢を叶えた女性のパイオニア、アントニア・ブリコの半生を描いたサクセスストーリー。ジェンダーあり、ロマンスあり、パワハラ・セクハラを受けながら、お金もコネもない女性が指揮者として成功を収めていく様はただただカッコイイ!!心に響く感動的なラストシーンでした。

終演後、マエストロの余韻に浸りながら、恩賜公園でお茶タイム。暑さの残る秋の夕暮れの中でのひとときはとても贅沢と思える時間です。

夜は東京文化会館でフォーレ協会創立30周年記念演奏会へ

井上二葉さんとジェラール・プーレ氏のデュオはフォーレの音楽に真摯に向き合う最良の演奏を聴く事が出来ました。これぞフォーレと思える音楽に拍手が鳴り止みませんでした。

失礼ながら井上二葉さんのご年齢は89歳、デュオを暗譜で弾かれるピアニスト魂と凜とした高貴なお姿に驚嘆し、年齢と時間を言い訳にしている自らを大反省しながら帰って参りました。

音楽は尊い!!思いを新たにした一日でした。

 

ヨーヨー・マと旅するシルクロード

桜の花も一気に満開、ようやく春の柔らかさと暖かさを感じるようになりました。

先日、東急Bunkamuraで上映されている?ヨーヨー・マと旅するシルクロードが目に留まり、彼の音楽の源泉に触れられたらと・・・行ってみました。

映画はヨーヨー・マの心に潜む自分の存在とは?アイデンティティーとは?文化とは?の問いかけと働きかけに世界のトップ演奏家たちが集まり、シルクロードアンサンブルを結成し、音楽が国境を越えて人々を繋ぎ、苦難や困難を乗り越えながら、一人一人が成熟した音楽家へと成長していく壮大なドキュメンタリーです。

文化・政治・宗教が違う中で、求めれば求めるほど先の見えない不安の中を迷走しながらも、自他の存在をそれぞれが認め合い、享受し、一つの方向性を見出そうとするエネルギーは凄まじく、そこから生まれる音楽の力強さは光輝き、希望と全てを受け入れる愛に溢れていました。

ヨーヨー・マの音楽の源流を見る思いでした。

お金がなくても音楽を諦めない・・中国の胡弓奏者の言葉は、治安不安も政治的圧力も宗教的差別も日常感じることのない生活を送っている私にはとても重く深くのしかかり、抑圧された環境・軋轢の中から生まれた音楽だからこそ、多くの人を惹きつけ、心を奪われてしまうのかも知れない・・そんな思いも過る映画でした。

 

速 読 ? ?

ピアノの上達に読譜力は絶対条件、音符カードは必須アイテムです。

初めが肝心と言うことで、新しい生徒さんには入会と同時にお母さん方にもご協力をお願いし、計32枚の音符カードを作成してもらいます。
入会時は生徒さんも親御さんも意欲的に作成して下さいます。

1枚に8個の大譜表が書いてあるA4用紙を4枚、1枚を8等分にし、台紙代わりに牛乳パック・カレー・レトルト・アイスクリームの空箱等を利用しのり付けします。計32枚のトランプ状のカードに4オクターブ分の音を書き、カードに穴を開けカラーリングを通せば出来上がり!!

子供たちは各々のオリジナルのカードをめくりながらひたすら速読練習です。カードをめくるにも脱力と両手使いの器用さが必要で、目標タイムはその子のめくる手のスピードに設定します。毎週少しずつタイムを上げていき、めくれるタイムに近づけます。目と頭と手と口の連携プレーがスムーズになってくると、音読スピードもアップし、3ヶ月もすれば4オクターブも制覇、32枚を30秒以内でクリアー出来るようになります。

しかし現実は甘くなく、32枚30秒をクリアーしても楽譜になった途端、読譜スピードは大幅にダウン。大きさ、音価の違い、集合体になる事で交通渋滞が起きてしまうようです。渋滞解消にはかたまり読みや先取り読み、あの手この手の読譜トレーニングを繰り返し行います。今日も明日も明後日も憧れのショパンやリストに近づくために・・・

I.Aちゃんとお母さんの共同制作オリジナルカード。 やる気モードもパワーアップ!!

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午後コン(^^♪

東京フィルの午後のコンサートは年に4回、気ままな日曜午後のリフレッシュタイム☕です。

今回のプログラムの前半は武満徹:三つの映画音楽  芥川也寸志:弦楽のための三楽章〚トリプティーク〛 スメタナ:連作交響詩〚わが祖国〛より「モルダウ」 後半はドヴォルザーク:交響曲第9番  ホ短調  作品95〚新世界〛より  ラストもドヴォルザーク:交響曲第8番 ト長調 作品88より

武満徹と芥川也寸志は今回初めて聴く曲かな?と思いながらプログラムノートを覗くと、武満徹の三つの映画音楽 No.1.訓練と休憩の音楽~「ホゼー・トレス」より~は1959年 勅使河原監督作品で使用されたドキュメンタリー映画音楽、No.2 葬送の音楽~「黒い雨」より~は1989年 今井昌平監督作品の広島原爆の悲惨さを表現したレクイエム、No.3 ワルツ~「他人の顔」より~は1966年 の勅使河原作品の主題曲との事。

メロディーも和声も形式も納まるようで納まらない前衛的な武満徹作品とは真逆のもので、深い心の機微に触れながら、どことなく懐かしさ・愛おしさも感じさせるとても愛情深い人間味に溢れていた方だったのかも知れない‥そんな印象を持つ曲でした。

また指揮者の尾高忠明さんの軽妙な語りの中で、彼の音楽は前衛的なものから段々と時代を遡るようにバロックへと興味が広がっていったこと、年に300本を観る大の映画ファンで映画音楽はオーケストラ曲と並ぶ創作の柱であったこと、彼自身「映画音楽を書くことは、自由へのビザを手に入れることに似ている」と語り、おまけに相当なゲーマーだった!ことが語られました。当時のゲームって?何でしょう。

そして、芥川也寸志の「子守歌、アンダンテ」は「ノック・ザ・ボディー」という奏法が用いられ、楽器のボディーを手で叩く奏法は奏者それぞれの叩く場所や叩き方の違いもあり、音色も視覚的にも面白く、3曲目の「プレスト」は祭り太鼓のリズムを用いた変拍子の曲でとてもユニークでした。

芥川也寸志も70本以上の映画音楽に携わり、1963年の「太平洋ひとりぼっち」では武満と芥川の共作もあり、高度成長期の中にいた武満徹・芥川也寸志・黛敏郎・伊福部昭などの作曲家にとっては情熱を投影できる実り多き時代だったのかも知れません。

ターゲットを絞り、お金を貯めて、想いを募らせての音楽会もあれば、ハズレも多いけれどリーズナブルでも予期せぬ大当たりが出る音楽会もあって、行ってみなければ聴いてみければ分からないのが音楽会!
今回は大当たりのガラガラポンでした(^^♪

 

ピアノがお琴に?!

ゴールデンウイーク中盤、今年もラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2016が開催されました。
5月4日朝方の雨も上がり初夏の陽気の中、「ラ・フォル・ジュルネに小曾根さん出るけど行く?」のお誘いに数年ぶりに出かけてみました。

今回はチケット購入も人任せ?事前リサーチなしなので、演目は会場のポスターで “動物たちのカーニバル~室内楽版「動物の謝肉祭」”と理解、出演者も小曾根さん以外のピアニストに江口玲さん、Vn  矢部達哉さん、Vc 宮田  大さん、Cl 吉田 誠さんなど、有名どころが名を連ねていることを当日のプログラムで知りました。

開演を心待ちにし、いざステージにライトが当てられると、オープニングはピアノとヴァイオリンで「春の海」!?

タイトルからすると季節外れでもないかもしれないけれど、スタインウェイのフルコンを弾いている江口さんのピアノからはお琴の音?!ヴァイオリンの音色も雅楽の縦笛?!

視覚と聴覚が一致しない何だか変な感じ??

その後の種明かしで、ピアノは弦に帯状の布をペラ~ンと貼って、お琴の音?を表現、ヴァイオリンは奏法を屈指し日本古来の縦笛を表現したとのこと。観客からは大きな拍手が沸き起こり、5000人の心を一気に掴んだオープニングだったかも知れません。?

オープニング後の小曾根さんのピアノソロは水をテーマに、流れるピュアな音色とチックコリア風のエッセンスと南米のリズムが融合したような音楽で、とても心地よい小曾根サウンドでした。(^^♪

本題の「動物の謝肉祭」は8名の室内楽編成と小曾根さんと江口さんのピアノディオ。弦も管も各楽器の特性を活かし、動物のキャラクターを表情豊かに熱演。

そして jazzとクラシックのピアニストはシンクロしにくいところが垣間見えたりしますが、小曾根さんと江口さんのピアノディオは曲のボルテージや捉えどころが恐ろしくマッチングし、2台とは思えない切れ味の良い息の合ったディオでお見事!

今年のラ・フォル・ジュルネはナチュール‐自然と音楽で、季節、風景、動物、天体、天地創造など大自然をテーマにした演目が並び、空間・時間・地域に捉われない多様性のあるプログラミングになっていました。

例年の特定の作曲家や時代や地域がテーマだった内容から、昨年より広がりのある普遍的なテーマにイメチェンだそうです。ラ・フォル・ジュルネだから出来るもの!!創って欲しいですね。

感覚もイマジネーションも掻き立てられる一日でした。

 

初めの一歩

陽ざしも和らぎ、草木も芽吹き始めました。
コートを脱いで、軽やかに出かけたい気分です。

これからの時期、卒業・卒園を控え、お別れ会やクラス発表の多い時期ですね。

そんなある日、右手は少し動くようになってきたけれど、左手はかなり苦戦中のGくん、お姉ちゃんと同じピアノを習い始めたことが彼の中で自負する出来事だったのか、小学校お受験の5歳児クラスで”何か得意なものがある人?”と先生から問われ、一番に手を上げ、みんなの前で堂々と”?メリーさんのひつじが弾けます!”と宣言、両手で披露したとの事。

そして、ピアノを始めてまだ二か月、いつもお母さんに寄り添い、控えめで優しいYちゃんは幼稚園のイベントで、みんなからのガンバレコールに励まされ、誇らしげに?ぴかぴかぼしを披露したそうです。

GくんもYちゃんも相当な勇気を振り絞ってのお披露目です。

年齢を重ねるにつれ、勇気を振り絞るような状況に身を置くことを敬遠してしまいます。
失敗したらイヤだし、カッコ悪い自分を見せたくないし、見たくないし、出来る自分でいたいし・・・色んな心模様が邪魔をしてしまいます。
完成品とは言えない状態でも、失敗を恐れずまずはやってみる!トライしてみる!事は実際は中々難しいことかも知れません。

心の中の余分なものを払拭し、初めの一歩が出せたとき、その後の歩みに大きく作用することは間違いありません。成長の助けになるはずです。

いくつになっても、勇気を振り絞って、 ” 初めの一歩 ” を踏み出せたら・・・
何事も Let’s  try でいきたいですね。

 

職人技

ピアニストにとって、本番で使用するピアノの鳴りや響き、ペダルのきき具合、ホールの残響など本番前にチェックしておきたい事は沢山だが、ピアニスト&作曲家の藤井一興氏はそれら以外にゲネプロ前に必ずチェックする事があるそうです。

通常ピアノの鍵盤の深さは約10ミリ、7~8ミリのところで音が出る仕組みになっていて、その7~8ミリが演奏を左右すると言う藤井氏はハンマーの戻り具合、鍵盤の弾力などを指先の感覚でチェックするのだそうです。

ゲネプロ前にピアノの癖をインプットし、頭の中で微調整、ゲネプロで確認する。更に聴衆が入ると音の吸収が違う為、それを想定して本番に望む。

藤井氏の奏でるピアノは何とも言えない柔らかさと甘さと透明感があり、色彩のグラデーションで異国へと導いてくれます。

藤井氏は「音楽において時はリズムでありテンポであり、一番身近なところでは鼓動でしょう。鼓動は生命の象徴であり、時の宿命は絶対に止められない事です。私は多くの作曲家から、最後まで生きようとする強さとエネルギーを感じます。私の音楽を通じて、その一部でも皆さまにお伝えできれば幸いです」と想いを語ります。

365日欠かすことのない音への追及と作品の洞察は藤井一興氏の生命の象徴であり、10ミリの鍵盤を自由自在に操る技術と耳はまさに職人技です。

昨年3月、念願叶ってエリザベート・レオンスカヤのピアノを東京文化会館で聴くことが出来ました。

32年ぶりの来日で一夜限りのオールシューベルト、CDでしか耳にしたことのなかった甘く華麗なショパンからは想像も出来ない、肉厚でとても深い音楽でした。

作品によって作曲家によってこんなにも変幻自在に変化するレオンスカヤの凄さに改めて感銘、終演後、ロシアまで行かない限り彼女のピアノを聴く機会はもうないと思うとサインも握手も頂いてしまいました。(*^_^*)

今年もどんな職人技とどんな音楽に出会えるのか楽しみです。

3月17日ミッシェル・ベロフ(すみだトリフォニー)18日藤井一興氏(東京文化会館)         リサイタルが待ち遠しい。。

 

共振

傷つきやすいというのも能力の一つです。
山本毅

「どーだ」とばかりに、自信満々の演奏をする人がいる。それはそれで立派だが、競争を勝ち抜かないと職につけない音楽界の現状がそうさせているところがあると、打楽器奏者は言う。音楽は人を励まし、奮い立たせもするが、人を慈しみ、慰めるものでもある。傷ついた心によく共振するのは、傷つきやすい繊細な感受性だ。そもそも音楽は競いあうようなものではない。

今朝の朝日新聞に掲載されていたコラムです。

今年2月に89才で亡くなったアルド・チッコリーニは晩年になればなるほど、一切のパフォーマンスを排除し、ひとつとして無駄のない音で聴衆を魅了し、まさに共振する音楽を聴かせてくれていました。

生前「派手なアクションにはどこかに”自分を見て”という欲がある。演奏中の不要な動きはいけない。私は出来るだけ自分の存在を消して、聴衆には作曲家の表現に集中してもらいたい」と語り、彼自身は「本当は客席から私が見えないように、つい立てを置きたい。鍵盤と手しか見えない照明システムも欲しいのだけど、まだ実現しない」とも語っていました。

クラシック音楽の希望の芽は、「今や東洋にある」と考えていたチッコリーニは晩年頻繁に来日していました。来日最後の演奏となった昨年の芸劇でのコンサートでは、杖をつきながら舞台中央までゆっくりと歩き、 ピアノの脇に杖を立てかけ、両手と上半身をピアノに預けながらゆっくりと椅子に座り、精神を集中させる。静かな呼吸から湧き出る音は老いの影が見える肉体とは無縁の至高のピアノ、聴衆の心に深く深く刻まれる神からの音楽でした。

チッコリーニは孤独を愛し、晩年も一人暮らし「毎日ピアノを弾き、友人や弟子たちが会いに来る。それだけが私の宇宙」と明かし、多くの心を共振する音楽には繊細な感受性と孤独を受け入れる強さも必要なのかも知れません。

「アーティストは語り部、個性の奴隷になってはいけない。自分自身は”Nothing”」
エスプリの音楽はもう聴けない・・・